2013/09/03

中沢新一抜粋、そして、、、?

ちょっとの間インターバルが入った中沢新一を考える、の続き。
いつの間にか、考える、になっていますが。
気になった部分を抜粋してみましたが、だからこれで何を言いたいのかが
なかなかまとまりません。
ので、荒削りですが、そのまま抜粋したものを、、、
ちなみに抜粋先は以下
http://www.1101.com/nakazawa/
さてさて、この先は、、、?


ーーただ、ケンカの強いやつが強かった歴史、
っていうのは、たかだか
1000年2000年だと思います。そうですよ。
西洋が戦争に成功して、
おれたちがその論理的にも
思想的にも
ひっぱってるっていうのは、
たかだか
たいしたことじゃないんですよ。ジャイアン政治ですよね。
ぼくらがのび太政治で。


ーーわたしたち新人の
心の本当の本質、
本物の特質というのを作りあげたのは、
そういう言語の持っている
合理的な面ではなくて
むしろ非合理的な面、
違うレベルのことを
ひとつの言葉で
同時に表現することができたり、
動きが変化しているものを
そのままつかみだしたりするという
能力なのです。


ーー「生と死」というのは一体として
わたしたちの中で
突き動かされているのでありながら、
論理的な思考方法というのを
分離する傾向があるわけですね。

この傾向を異常発達させていくと
都市というのが作られていきます。
都市は、これはどこに作られたものも
そうですが、死に関わるもの、
それから自然の領域に関わるものを
自分たちの生活空間から
外へ排除しようとする傾向があります。

ですから、都市は広場を作り、
石畳を敷いて城壁を作り、
まわりの世界から
自然のプロセスや死の要素が
中へ入ってこないようにしています。
墓地は外へ作りますね。
そういう都市の構造の
おおもとになっているのは、
論理的な思考方法です。
つまり、「生と死」という現実を
論理的に二つに分離できる、
この論理的な能力ですね。

そういうものがあって、
そして「生と死」を対立させて、
「死」を排除するという
思考方法が出てくると
都市の構造が作られてくるようになります。



ーー神は人間の心の中に発生する
絶対的な自由であり、
この自由なものが
わたしたちの心の中を
縦横無尽に飛び回っている。


この一神教の宗教形態は
超越性や人間を超えたものを強調しますが、
この人間を超えたものというのは
実は人間の内部にあるんです。

思考能力を超えたものを見て、理解して、
自分の生活と人生の中に組みこんでいく思想、
これが宗教であるとしたら、
一神教の神の形態というのは
非常に限定されたものの考え方です。
人間の全体性を強く制限したところでしか
生まれてこない神の考え方だというのが
はっきり見えてきます。

もしも
この一神教の考え方、
ユダヤ教、
キリスト教、
イスラム教というものが
宗教であるとしたら
他のすべての人類は
宗教は持たないと考えてもいいわけです。

日本人は無宗教だ、神を持たない、
なんてよく言われますが、
そういう考えは
ひっくり返さなくてはいけない。
わたしたちはよく考えたうえで
一神教の神を持たなかったんです。