2013/08/13

都市の構造

ヨーロッパに移り住んでからかれこれ8年も過ぎる所です。
私が日本を離れたのは2005年でした。
最初の1年はパリ、そしてその後7年間はベルギーです。

デビューの一年目は、なんなく過ぎました。
難なく、というわけではなかったものの、お祭りごととして、
また長い旅のようなものとして、
それこそ線香花火の様に、ジリジリ、パッパッ、プスプスと
燻りながらもあっという間に終わった生活でした。

その後が問題でした。
ブリュッセルへの移動、そして「日常生活」の始まり。
三十数年間、ずーっと東京を離れて暮らした事の無い私にとって
突然のヨーロッパでの日常生活は
今までの私の「営み」とは全く違うものの連続でした。
ぶっちゃけ、8年経った今でも、この土地ではまだ「営む」ことができてないように思います。
最初の数年は、言葉さえできれば何とかなる!と
語学にやたらはげみました。
なるべく日本語には触れないように努力をしました。
でも、それは間違いでした。
言葉ができたとしても、その人の営みというものはそこに築けるものでもありません。
それに気づかないうちに、ムリがたたり私は病気になりました。
コレ、という病気ではなかったけれど
とにもかくにも、いつもいつもどこかが悪く
今までの人生の中でこんなに具合が悪い時は無かった、というくらい
ずーっと具合が悪い事の連続でした。
とにかく何もかもがうまくいかないんです。

今までの様には、、、ということなのだけど。
全くもって本領を発揮することなんて出来なくなっていました。

でも最近、スーッと、少しずつ楽になってきました。
それは、ある事に「気づく」ことが出来たからなんだな、と思えます。
私が東京で築いてきた営み、というものは
あの土地意外では実現し得るものではなく、
他の土地や風土、食べ物のある場所では
そこの場所での営みを新たに築いていく事しかできないんだ、という事です。

「アースダイバー」の著者、中沢新一さんはこんな事を言っています。
「都市の構造っていうのは、
その都市に住んでいる人たちの心の作り方を
そのまま空間の中に投射します。」

http://www.1101.com/nakazawa/2005-12-30.html

確かに、ブリュッセルという都市のあり方は
ココの人々の心を反映しています。
ぶつ切りの寄せ集め。バラバラの精神、
そして小さなお祭りの連続。
食う事も、食われる事も出来ない街。


まあ中沢新一さんの場合は、人の精神や土地の記憶が
縄文時代にまで遡るので
私一人ゴトキの数十年の人生などで
その土地を語ろうなんて言う事はおこがましい事なのかもしれないのですが、、、。

ああ、、、この事を語り始めると
長くなりすぎるのと、まだ頭の中で整理ができていないので
(今日は)この辺でやめてみます。

続きが見えてきた時に、マタ。

2013/08/01

季節外れの、、、

季節外れの、クリスマス。ってことなんですけど
あくまでも北半球目線で言わせていただいております、、、。

ある人から借りた本の中で、著者がクリスマスの思い出をつづっていて、
と、私もあるクリスマスが急によみがえりました。

確か3年前の年末だったと思います。
その年の帰省は1ヶ月半と長めに取ったため
貧乏性の私は、だったら帰省中に仕事!と
事前に色々な所に声をかけてみた所、
デザイナー時代の旧同僚たちが設立した会社で
イラストレーターを必要としている
という話をいただき、3、4週間ほど通勤させていただく事にしてもらいました。

その旧同僚たちとは、あるロックン・ロールなカメラマンが経営している
小さな、でもとても面白い仕事を沢山している
家族経営事務所で一緒に働いていました。

仕事場は社長のご自宅。
小さな竹やぶがある中庭が
一戸建ての真ん中をドーンと突き抜けている
それはそれはステキなお家でした。

毎日お昼頃から仕事を始め、夜は12時過ぎまでというのが日課だったため、
社長の、これまたロックン・ロールな奥様が
毎晩私たちのために夕飯を作ってくれていました。
半分は家族とはいえ、食べ盛り社員4人分の夕飯を毎晩用意するのは
とっても大変だったと思います。
さらに、近所のとってもおいしい京風うどん屋さんに連れて行ってもらったりとか、
すっっっごくおいしいイタリアンに連れて行っていただいたりなど、
お食事代だけでお給料の倍以上かかっているのでは、、、と
思ってしまうほどおいしいものをいただいていました。

私たちは、まるで家族のようでした。
ヘンな家族。
毎日大体の時間を共有し、毎晩同じものを食し、
同じ仕事をしていました。

その中でもさらに、私の超ご近所に住んでいた一人の同僚とは
帰りはほぼ毎日一緒、2回に1回は行きのバスも一緒
飲みに行くのも一緒、
読むマンガまで一緒、
彼のお父様に車で送っていただいた事も数知れず。

とにかく全部一緒でした。

その彼が立ち上げた会社で、3年前のクリスマスの時期に
また再びお世話になったのです。
そこには、毎日夕飯を一緒に食べた3人の同僚がみんな居ました。
それと、2人、若いホヤホヤデザイナーの男の子が二人。

昔のなじみで雇ってくれたその元・同僚は
その当時とは比べ物にならないほど大人になり、
4人の社員と、当時は居なかった3人の子供を背中にしょって
(年頃で太った、にしても)背中がとっても大きくなったもんだなあ、
と毎日感心しながら仕事っぷりを見ていました。

最終日に、仕事の内容にしては良すぎるくらいのお給料を払ってくれ、
さらに「一緒におもちゃ屋に行こう」と言われ
イブ生まれの、まだ会った事も無い私の娘に
大きな誕生日プレゼントまで買って持たせてくれました。

そのワカモノ事務所は麻布十番で、
地下鉄の駅を降りた所にすぐステキなケーキ屋さんがあり、
ちょっとお給料をいただいて気が大きくなっていた私は
そこで、とっても美味しいクリスマス・ショートケーキを買って
イブの夜なのに、わざわざ娘のためにHappy Birthdayのプレートまでつけてもらい
おおきなオモチャと大きなケーキを持って
ウキウキと地下鉄に乗って帰りました。

残念ながらその日帰った時には娘はもう寝ちゃっていたのだけど、
その時に沢山の人達が乗っていた地下鉄の車中のウキウキ感と、
あのせわしない東京のクリスマスは
今でも鮮明に思い出せます。

それもこれも、今思うとすべてが彼らのおかげなのだなあ、、、
と改めて感謝せずにはいられません。
ペコリ。