2017/03/31

すべてがカガミ

昨日は数年ぶりの個展のオープニングパーティーでした。
たくさんの人たちに来ていただいて、本当にステキなな一晩でした。
いろんな人の顔を自分の作品たちの中で見られることほど幸せなことはないなあ
といつも思います。 

始まってしまえば、どっとした疲れとともにひと段落し
やっと人並みの生活に徐々に戻っていくのだけれど、
個展の寸前はいつもひどい状態になるのが常です。

2ヶ月前にもなってくると、もういつもそのことしか考えられず
生活や普段の身の回りのことをついついほったらかしにしてしまう。
物忘れもひどくなり、約束を間違えたりすっぽかしそうになったりすることも、、、。
昔っからそれは変わりません。

人と会うこともなんとなくやめてしまうし、
毎日ちょいちょい読んでいた新聞の記事なんかも読まなくなってしまうし
何と言っても家の中がぐっちゃぐちゃ!
そのぐちゃぐちゃを見て、気分もぐちゃぐちゃになり落ち込んだりしてるわけです。

かといってずっと作業をしているわけでもないのですが。。。

幸い今は一児の母なため、常識はずれに生活が乱れることはなくなったし
仕事も親業もつづけながら、となると
以前のように、缶詰に閉じ込められたイワシのように
何ヶ月も社会的な活動からはぽっかり離れて、なんてことはなくなりましたが。

限られた時間しかないため、変なあきらめもつけることができたり。

が、そんな感じで進めていくと、たまに展示のすべてが上手くいかない気分になったりして
もうどうしようもなくクヨクヨ感情が浮かび上がってきます。
そうすると今のすべてがダメに思えたり、今ある状況を恨んだりもし始め。
そして次の日に何か新しいアイディアが出てくると
また天国にも登りそうな勢いで浮上してみたり。

とにかく疲れるのです。

ところが昨日ある程度展示をし終わって
ザーッとギャラリーを見回し、

「これが私ナノカ、、、」

展示が完成した裏側ですべての作業を後回しにするのも私、
身の回りがぐちゃぐちゃなのも私。
展示に来てくれた人たちも、私。
作品への反応も私。

「結局人生はすべてがカガミのようでしかないのかもしれないな、
だとしたら私はなんでこんなにコントラストの激しい生活をしてるのかな」
なんて ふと思いました。

今周りにあるすべてのものは、環境も人も含めて全部自分の一部なんだと思います。
逆に言えば、周りにあるすべてのものの中の一部として自分が存在しているだけなのでしょう。
好きなものも嫌なものも全てすべて、自分でしかないし、
自分は周りに存在しているモノや人たちの一部なんだなあ
と自分の展示を見て改めて思った夜なのでした。

今回の展示をきっかけに、もうちょっとコントラストが激しくない
いつでも同じ状態の自分をいっぱい作っていけたら
ほんとうにいいのになあ、、、と
疲れを癒しながらぼーっと考えた1日でした。

みなさま本当に見にいらしてくださってありがとう。

2016/07/11

お引越しと洗濯機

今引越しの準備中です。この9ヶ月で大小合わせ、4回目の引越しです。
で、1年ぶりに自分の城を再獲得したわけです。
ここまで辿り着くまでに、余りにも色々あったので詳細は割愛しますが、
とにかく精神的にも身体的にもかなりダメージを受けました。
異性問題でもここまでダメージを受けたことは、ほとんどありません。

大変な期間だったけど、あくまでも全て自分のチョイスで行動した結果だし
それで予想外のことが起きたら、それはBad choice だったという事をさっさと認め
やはり抜け出すべく動くしかないわけです。
何といっても、付き合わされた娘には本当に申し訳なく思っているし、二度とこんなことはないようにと心に誓ったイベントなのでした。

と言うわけで今やみんなに引越しのプロと言われます。

さて、新居にて一番最初に必要な物が
洗濯機
です。
うちの子は女子ですが、服を汚しかたは男子並みです。
頻繁な洗濯が必須です。洗濯機が無いと
遠いコインランドリーに重い荷物を抱えて週に何度も往復しなければなりません。
一大事です!

とはいえ新しいお家のバスルームの小ささと言ったら、、、。
今から洗濯機の角にぶつかっては、怒りの矛先をどこに向けたらいいか、というストレスと戦う事が、簡単に想像されます。

測ったら普通サイズの洗濯機だと、ナント入り口からはみ出ます。
バスルームのドアを開けたら、洗濯機が入り口の一部を塞いでるのです。
トイレに行くときも、お風呂に入る時もいつもソレをよけつつ入らなければなりません。

タダでさえ洗濯が大キライな私。
そんなハミ出た洗濯機は家にあるだけで恨めしくてたまりません。

そこでチビサイズ探しの旅です。モデルを知るべく、
小さい洗濯機、と打つとこんなのが出てきました。

これは、、、確か靴下とか布おむつ用なのでは?


場所を取らないのはいいけど、これじゃダメです。

そこでこんなのを見つけました。



これはいい!
レトロでカワイイし、サイズが狭いバスルームにもぴったり。
しかもドラム式と違って軽いので持ち運びも自由!(キャンプカーや、単身の方に)と書いてあります。
ちなみにヨーロッパの洗濯機は99%のモデルが、劇重いドラム式です。しかも購買力のない私には、新品のドラム式なんて夢のような話です。
特に持ち運びは考えてないけど、この二層式はお値段がかなり魅力的。
さらに中古で探したけど、さすがにこれを中古で売ってる人は近くにはいませんでした。

まあいいや、これならネットで注文しちゃおう!と買い物カゴへ入れ、決済を済まそうとした時、
いや、待てよ⁈  この子は自動なのか⁇
と、ふとよぎりました。
こんな時はYouTube。英語バージョンの紹介ビデオを見つけ見てみると、
注水は手動で蛇口を閉めないとあふれるから気をつけてね!
などと嬉しそう。
もちろん脱水するたび、左から右へ入れ替え。
つまり洗濯中はつきっきりです。
ノスタルジックすぎます。
小さい時、母の手伝いで冷たい水の洗濯物を脱水層へ移した記憶が何度もあります。
もうあんな生活はムリです。ボタンぽん、の生活は一度してしまうとやめられない!

そしてミニマシーンの中古探しの旅は続く、、、。

2016/04/27

誕生と死


誕生の時には、あなたが泣き、全世界は喜びに沸く。
死ぬ時には、全世界が泣き、あなたは喜びにあふれる。
現代人は、死から遠ざかろうとするあまり、生の意味を見失っている。


中沢新一 死者の書


私が大好きな中沢さんの言葉。

2016/04/16

月と太陽のお話


昔のスケッチブックを開いてみた。

娘が小さい時に私に語ってくれたお話がとてもステキで絵を描いていた。
以来、私は月を見ると太陽を、太陽を見ると月を思い出す。
このお話、どこから来たのでしたっけ?


** Coucher = 寝る、Allumer = 点灯する

2013/09/03

中沢新一抜粋、そして、、、?

ちょっとの間インターバルが入った中沢新一を考える、の続き。
いつの間にか、考える、になっていますが。
気になった部分を抜粋してみましたが、だからこれで何を言いたいのかが
なかなかまとまりません。
ので、荒削りですが、そのまま抜粋したものを、、、
ちなみに抜粋先は以下
http://www.1101.com/nakazawa/
さてさて、この先は、、、?


ーーただ、ケンカの強いやつが強かった歴史、
っていうのは、たかだか
1000年2000年だと思います。そうですよ。
西洋が戦争に成功して、
おれたちがその論理的にも
思想的にも
ひっぱってるっていうのは、
たかだか
たいしたことじゃないんですよ。ジャイアン政治ですよね。
ぼくらがのび太政治で。


ーーわたしたち新人の
心の本当の本質、
本物の特質というのを作りあげたのは、
そういう言語の持っている
合理的な面ではなくて
むしろ非合理的な面、
違うレベルのことを
ひとつの言葉で
同時に表現することができたり、
動きが変化しているものを
そのままつかみだしたりするという
能力なのです。


ーー「生と死」というのは一体として
わたしたちの中で
突き動かされているのでありながら、
論理的な思考方法というのを
分離する傾向があるわけですね。

この傾向を異常発達させていくと
都市というのが作られていきます。
都市は、これはどこに作られたものも
そうですが、死に関わるもの、
それから自然の領域に関わるものを
自分たちの生活空間から
外へ排除しようとする傾向があります。

ですから、都市は広場を作り、
石畳を敷いて城壁を作り、
まわりの世界から
自然のプロセスや死の要素が
中へ入ってこないようにしています。
墓地は外へ作りますね。
そういう都市の構造の
おおもとになっているのは、
論理的な思考方法です。
つまり、「生と死」という現実を
論理的に二つに分離できる、
この論理的な能力ですね。

そういうものがあって、
そして「生と死」を対立させて、
「死」を排除するという
思考方法が出てくると
都市の構造が作られてくるようになります。



ーー神は人間の心の中に発生する
絶対的な自由であり、
この自由なものが
わたしたちの心の中を
縦横無尽に飛び回っている。


この一神教の宗教形態は
超越性や人間を超えたものを強調しますが、
この人間を超えたものというのは
実は人間の内部にあるんです。

思考能力を超えたものを見て、理解して、
自分の生活と人生の中に組みこんでいく思想、
これが宗教であるとしたら、
一神教の神の形態というのは
非常に限定されたものの考え方です。
人間の全体性を強く制限したところでしか
生まれてこない神の考え方だというのが
はっきり見えてきます。

もしも
この一神教の考え方、
ユダヤ教、
キリスト教、
イスラム教というものが
宗教であるとしたら
他のすべての人類は
宗教は持たないと考えてもいいわけです。

日本人は無宗教だ、神を持たない、
なんてよく言われますが、
そういう考えは
ひっくり返さなくてはいけない。
わたしたちはよく考えたうえで
一神教の神を持たなかったんです。

2013/08/13

都市の構造

ヨーロッパに移り住んでからかれこれ8年も過ぎる所です。
私が日本を離れたのは2005年でした。
最初の1年はパリ、そしてその後7年間はベルギーです。

デビューの一年目は、なんなく過ぎました。
難なく、というわけではなかったものの、お祭りごととして、
また長い旅のようなものとして、
それこそ線香花火の様に、ジリジリ、パッパッ、プスプスと
燻りながらもあっという間に終わった生活でした。

その後が問題でした。
ブリュッセルへの移動、そして「日常生活」の始まり。
三十数年間、ずーっと東京を離れて暮らした事の無い私にとって
突然のヨーロッパでの日常生活は
今までの私の「営み」とは全く違うものの連続でした。
ぶっちゃけ、8年経った今でも、この土地ではまだ「営む」ことができてないように思います。
最初の数年は、言葉さえできれば何とかなる!と
語学にやたらはげみました。
なるべく日本語には触れないように努力をしました。
でも、それは間違いでした。
言葉ができたとしても、その人の営みというものはそこに築けるものでもありません。
それに気づかないうちに、ムリがたたり私は病気になりました。
コレ、という病気ではなかったけれど
とにもかくにも、いつもいつもどこかが悪く
今までの人生の中でこんなに具合が悪い時は無かった、というくらい
ずーっと具合が悪い事の連続でした。
とにかく何もかもがうまくいかないんです。

今までの様には、、、ということなのだけど。
全くもって本領を発揮することなんて出来なくなっていました。

でも最近、スーッと、少しずつ楽になってきました。
それは、ある事に「気づく」ことが出来たからなんだな、と思えます。
私が東京で築いてきた営み、というものは
あの土地意外では実現し得るものではなく、
他の土地や風土、食べ物のある場所では
そこの場所での営みを新たに築いていく事しかできないんだ、という事です。

「アースダイバー」の著者、中沢新一さんはこんな事を言っています。
「都市の構造っていうのは、
その都市に住んでいる人たちの心の作り方を
そのまま空間の中に投射します。」

http://www.1101.com/nakazawa/2005-12-30.html

確かに、ブリュッセルという都市のあり方は
ココの人々の心を反映しています。
ぶつ切りの寄せ集め。バラバラの精神、
そして小さなお祭りの連続。
食う事も、食われる事も出来ない街。


まあ中沢新一さんの場合は、人の精神や土地の記憶が
縄文時代にまで遡るので
私一人ゴトキの数十年の人生などで
その土地を語ろうなんて言う事はおこがましい事なのかもしれないのですが、、、。

ああ、、、この事を語り始めると
長くなりすぎるのと、まだ頭の中で整理ができていないので
(今日は)この辺でやめてみます。

続きが見えてきた時に、マタ。

2013/08/01

季節外れの、、、

季節外れの、クリスマス。ってことなんですけど
あくまでも北半球目線で言わせていただいております、、、。

ある人から借りた本の中で、著者がクリスマスの思い出をつづっていて、
と、私もあるクリスマスが急によみがえりました。

確か3年前の年末だったと思います。
その年の帰省は1ヶ月半と長めに取ったため
貧乏性の私は、だったら帰省中に仕事!と
事前に色々な所に声をかけてみた所、
デザイナー時代の旧同僚たちが設立した会社で
イラストレーターを必要としている
という話をいただき、3、4週間ほど通勤させていただく事にしてもらいました。

その旧同僚たちとは、あるロックン・ロールなカメラマンが経営している
小さな、でもとても面白い仕事を沢山している
家族経営事務所で一緒に働いていました。

仕事場は社長のご自宅。
小さな竹やぶがある中庭が
一戸建ての真ん中をドーンと突き抜けている
それはそれはステキなお家でした。

毎日お昼頃から仕事を始め、夜は12時過ぎまでというのが日課だったため、
社長の、これまたロックン・ロールな奥様が
毎晩私たちのために夕飯を作ってくれていました。
半分は家族とはいえ、食べ盛り社員4人分の夕飯を毎晩用意するのは
とっても大変だったと思います。
さらに、近所のとってもおいしい京風うどん屋さんに連れて行ってもらったりとか、
すっっっごくおいしいイタリアンに連れて行っていただいたりなど、
お食事代だけでお給料の倍以上かかっているのでは、、、と
思ってしまうほどおいしいものをいただいていました。

私たちは、まるで家族のようでした。
ヘンな家族。
毎日大体の時間を共有し、毎晩同じものを食し、
同じ仕事をしていました。

その中でもさらに、私の超ご近所に住んでいた一人の同僚とは
帰りはほぼ毎日一緒、2回に1回は行きのバスも一緒
飲みに行くのも一緒、
読むマンガまで一緒、
彼のお父様に車で送っていただいた事も数知れず。

とにかく全部一緒でした。

その彼が立ち上げた会社で、3年前のクリスマスの時期に
また再びお世話になったのです。
そこには、毎日夕飯を一緒に食べた3人の同僚がみんな居ました。
それと、2人、若いホヤホヤデザイナーの男の子が二人。

昔のなじみで雇ってくれたその元・同僚は
その当時とは比べ物にならないほど大人になり、
4人の社員と、当時は居なかった3人の子供を背中にしょって
(年頃で太った、にしても)背中がとっても大きくなったもんだなあ、
と毎日感心しながら仕事っぷりを見ていました。

最終日に、仕事の内容にしては良すぎるくらいのお給料を払ってくれ、
さらに「一緒におもちゃ屋に行こう」と言われ
イブ生まれの、まだ会った事も無い私の娘に
大きな誕生日プレゼントまで買って持たせてくれました。

そのワカモノ事務所は麻布十番で、
地下鉄の駅を降りた所にすぐステキなケーキ屋さんがあり、
ちょっとお給料をいただいて気が大きくなっていた私は
そこで、とっても美味しいクリスマス・ショートケーキを買って
イブの夜なのに、わざわざ娘のためにHappy Birthdayのプレートまでつけてもらい
おおきなオモチャと大きなケーキを持って
ウキウキと地下鉄に乗って帰りました。

残念ながらその日帰った時には娘はもう寝ちゃっていたのだけど、
その時に沢山の人達が乗っていた地下鉄の車中のウキウキ感と、
あのせわしない東京のクリスマスは
今でも鮮明に思い出せます。

それもこれも、今思うとすべてが彼らのおかげなのだなあ、、、
と改めて感謝せずにはいられません。
ペコリ。